<曇>

ボクと妻も、そろそろ子どもを持とうか、という話になってきた。
ボクは、まだ父親になる自信がないが、妻が、年をとると子育てが大変だと言うからだった。
海のそばに建つ古い空家の戸袋が、巣をつくるのにちょうどいい。
「ここにしよう」と、ボクが言うと、妻は
「方角が悪い。嫌な予感がする」と反対した。
しかし、ほかにあてもなく、とりあえず、そこに住まうことにした。

<曇>

巣をつくり始めて、すぐ卵が5つ生まれた。仲間は、「お盛んですな」とはやしたてた。
しかし、行く手に暗い影が見えてきた。というのも、その空家に借り手がついたのである。

今日、到着した引っ越しトラックを見て、
妻は、
「ほら、言わんこっちゃない」と激怒した。
ボクは「きっと、大丈夫だよ」と言っておいた。
だって、ほかに言うべき言葉がないじゃないか?

<雨>

新しい住民となった人の奥さんは、鳥が嫌いなのだそうだ。
眉間にシワを寄せて、戸袋を睨みつけるので、妻の神経をますます逆撫でする。
妻は、「後からやってきたくせに、ずうずうしい」と言う。

幸い、ダンナさんは、鳥が好きらしい。
ダンナさんが一人でいるところを見計らい、哀れっぽく、歌ってみたりする。

<曇>

ダンナさんが奥さんを説得して、このまま戸袋に住めるようにしてくれた。
ハレルヤ! 歌ってみるものだ。

「ありがとう、ありがとう。もうすぐ子どもが生まれるのです。助かります」
「ひと月500円でいいよ」
奥さんが言った。
「え、お金を取るのですか?」
「ときどき、自動販売機の下に小銭が落ちているから、それを拾っておいで」
ダンナさんが言った。

せちがらいなぁと思いながら、自動販売機の下を覗いて歩く。
やっと12台目で200円拾えた。やったー!
「奥さん、奥さん、200円拾えました」
「よしよし、あと300円だね」
「でも、もう無理です。もうすぐ子どもが生まれるので、忙しいのです」
「子どもが生まれると、もっと忙しくなるよ」

ボクが黙っていると、
「わかった。じゃあ、ツケにしておいてあげる」
奥さんが言った。
どうやら、ロハにするつもりはないらしい。とんでもないところに巣を作っちゃったなぁ、とボクは思った。妻の言うように、方角が悪かったのかもしれない。

<晴>

今日はいい天気だった。エサを探しに行き、つい松林で遊んで帰ると、巣で卵を温めていた妻に、
「一人でフラフラ、どこにいってんのよ、この助六!」と怒られた。
最近、妻は気がたっている。せっかく、このまま住みつづけられるようになったというのに、女性の心理はよくわからない。
狭い戸袋なので、顔を合わさないわけにもいかずに気まずい。

<曇>

この日記を見た日本野鳥の会の人が、奥さんにかけあって、月々500円の家賃を払わなくてもよいようにしてくれた。愛鳥家は、善人ばかりだ。

<晴>

奥さんは、巣の建築材料にした、お菓子の袋やなんかを指差して、ちょっと笑って、「一生懸命だね、えらいね」と言った。奥さんが笑うなんて、意外だった。
でも、とにかく、今は忙しい。
奥さんのことなど、かまっていられないのだ。何しろ、卵が5つもあるんだから。

<曇>

今日、卵が孵った。ボクは父親になった。自信がないと言っていたが、なってしまえば、なれるものだ。
それにしても、たいへんな騒ぎである。
さっそく奥さんが聞きつけて、「なまえはつけたのか?」と聞いた。

「なまえ? なんですか? それは」
奥さんは、腰に両手を当て、胸を張って、
「なまえとは、アイディンティティそのものだ」と言った。
結局、よくわからなかった。大家の人柄等に関しては、わからないことが多い。

奥さんは、紙に、

「ピッタ」
「バスケット」
「プリコ」
「ブラッシャー」
「プッチョ」

と書き、子どもたちがそれぞれ好きに選ぶよう、その紙を渡した。そして、
「店子として、戸袋の中を清潔に、きれいに住まうように」と言った。

「ブラッシャー」は「強そうだ」というので子どもたちに人気があり、一番目に孵った女の子がそれを選んだ。
五番目に孵った末の男の子は、力関係に負け、一番人気のない「プッチョ」になった。
ボクもなまえがほしいと言うと、妻は「ばからしい」と一蹴した。


<曇>

卵が孵ってからというもの、奥さんは、暇つぶしに、よく戸袋の中を覗く。
プライバシーも何もあったもんじゃないが、立場が弱いわれわれなので、抗議もできない。

そして、子どもたちに向かって、「バスケットは、ちゃんとごはんを食べているか」「プッチョとプリコはケンカをしていないか」とあれこれ世話を焼きたがる。
しかし、奥さんは、だれがバスケットで、だれがプッチョなのか、よくわかっておらず、でたらめなことばかり言うので、子どもたちも困っているようだった。

「奥さん、ボクは、バスケットじゃありませんよ」
「ああ、そうかそうか、おまえは、プッタだっけね」
「奥さん、プッタなんてなまえの子は、だれもいませんよ」

こういうやり取りを、妻は苦々しげに見ている。
実は、妻もボクも、どれがバスケットなのか、把握していないのだった。

そして、奥さんは、ひとしきり暇つぶしをすると、「きれいに暮らすように。最近、この戸袋は臭うよ」と言って、どこかへ行ってしまう。
妻は、「オムツもなにもしていないんだから、臭って当然だ」と怒っていた。

目次に戻る