「ホントに寒いわねぇ」
奥さんは、ストーブの火力を1段強めました。今日は、3月だというのに、小雪がちらつく寒い日です。散歩にも行けません。クロちゃんはすっかり退屈して、ストーブの前でうつらうつらしていました。
「もう春だっていうのにねぇ。ココアでも淹れようかしら。クロもいる?」
「僕はいいです。甘いもの、苦手なんで。できれば、熱燗とかがいいんですが、それはダメですよね?」
奥さんは台所に行くと、しばらくしてカップをひとつ手に戻ってきました。カップからは、胸焼けするような甘い匂いがしたので、クロちゃんはがっかりしました。
――やっぱり、熱燗じゃないや。

奥さんは、ココアをすすりながら、うぅ寒い、とくり返しています。
「もう一枚上に着ようかしら」
そして、タンスの引出しを開けると、
「あぁ〜、こんなの、あったわねぇ。もう着れないかしらねぇ」
と、黒いカーディガンを引っ張り出しました。

「洗濯したら縮んじゃったんだけど、どうかしらね」
奥さんは、黒いカーディガンに袖を通しました。
カーディガンは奥さんの体にぴったりで、編目が広がるほどです。
「やっぱり、ちょっときついわねぇ」
空のカップを手に流しに立った奥さんの、太って丸い背中が、こんもりと黒く盛り上がって見えました。

そのときです。クロちゃんの耳がぴくっと動きました。
――あ、おかあさん……みたい。
クロちゃんは、ぶるっと身震いすると、急いで立ち上がり、奥さんの背中を追いかけました。
――おかあさんっ、おかあさんっ!!

クロちゃんは、奥さんの背中に向かって飛び掛り、奥さんは危く転びそうになりました。
「これっ、何すんのっ! このバカ犬はっ!」
奥さんの怒鳴り声で、クロちゃんはハッと我に返りました。
きゅうーん、とうなだれるクロちゃんに奥さんは命じました。
「クロはハウスッ!」
クロちゃんは、ハウスの柵の隅っこに丸くなると、寂しいのと情けないのとで、少し泣きました。
――おかあさんは、ここにはいないのに。ブリーダーさんのところなのに。おかあさん、今ごろ、何しているのかなぁ。

そのうちに、クロちゃんは眠ってしまっていたようです。
気がつくと、クロちゃんの体の上に、やわらかいふわふわしたものがかかっていました。そのふわふわしたものは、奥さんの黒いカーディガンでした。

「奥さん、これ……」
「小さくなっちゃったから、クロにあげる。大事にするのよ」
奥さんは、優しい声で言いました。
「……ありがとうございます。奥さん」
クロちゃんは、ふわふわの黒いカーディガンにそっと顔をうずめました。おかあさんの匂いがする気がしました。
そして夜、
会社から帰ってきたご主人様と一緒に、熱燗でキュウゥッと一杯飲むと、また黒いカーディガンを抱きしめて眠りにつきました。


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