5.行き先



 ばふこはご機嫌である。なぜかというと、千夏さんに、レースのついた洋服を新しくプレゼントしてもらったからだ。千夏さんは短大の家政科に通っていて、時間があると、ときどきばふこに服を縫ってくれていた。

 ひとしきり鏡に映してはしゃいでいたあと、
「千夏さん、もしかして佐藤くんと別れちゃうのかも」と、ばふこが言いにくそうに切り出した。
「えぇっ! そうなの?」
私は初めて聞く話である。

 なんでも、最近、千夏さんに「モーション」をかけている若い男がいるのだという。アルバイト先のハンバーガーショップにしばしば訪れるその彼は、ポール・スミスのシャツを着て、SMAPの稲垣吾郎に似ているのだそうだ。そして、少し前の型の、赤いBMWに乗っている。
「ポール・スミスの稲垣吾郎かぁ」
2人でため息をついた。つい先日、佐藤くんがダイエーで980円のTシャツを買っている場面に出くわしたばかりだったのだ。

 ばふこは、パソコンをもらった手前、佐藤くん派であるらしい。私は、ポール吾郎を見ていないので、何ともコメントのしようがないのだが、佐藤くんはいい奴である。佐藤くんの部屋のポスターと照れた顔が、幾度もフラッシュバックした。捨てられた佐藤くんは泣くんだろうか、泣くんだろうなぁ。
 千夏さんが、ポール吾郎を好きならば仕方がないが、それにしても、千夏さんから一度じっくり話を聞いてみようじゃないか、ということになった。

 土曜日の夜、「洋服のお礼に」と、千夏さんを食事に招くと、嬉しそうに応じてくれた。ワインを下げてアパートにやって来た彼女の、ゆるくパーマのかかったセミロングは三つ編みにされ、唇はオレンジ色のグロスでつやつやしている。まつげは長く、くるりと上向いて、パープルのマスカラが控えめに塗られていた。女である私の目から見ても、実にかわいらしい。ボール吾郎の気持ちがわかる。

 「まさかぁ。全然そんな気ないよ」
ばふこと私の懸念を伝えると、千夏さんは可笑しそうに言った。
「ポール吾郎は、千夏さんのことが好きみたい」
ばふこが食い下がると、
「でも、私はカレシが好きだから」
はっとするほどきっぱりした口調だった。

 「カレシ、見た目、ダサいでしょ」
答えに詰まっていると、
「でもね、中身はかっこいいんだよ。坂口さん(ポール吾郎の名前らしい)は、見た目はかっこいいし、お金もたくさん持っているんだけど、何もやりたいことはないみたい。プラダの靴買いたいとか、ホテルのバー行きたいとか、そういうのはあるみたいだけど」
「プラダの靴なら、私も欲しいわ」
ばふこが身を乗り出したが、千夏さんはかまわず続けた。

 「あたしなんてさぁ。付属の女子高で、ホントはエスカレーターで4大に行きたかったんだけど成績が悪くて、短大しか入れなくて。英文科がよかったんだけど、それもダメで。料理や洋裁は嫌いじゃないし、家政科でもいいか、ってとりあえず入って、なんとなく、ここまで来て」
マニュキアの指先を見つめながら、ゆっくり話す。その横で、ばふこは、千夏さんのネイルアートの施された爪をうらやましそうに眺め、次に自分の黒い爪に目を落とし、小さく首を振っていた。

 「もうすぐ就職活動も始めなきゃいけないのに、本当に欲しいものや、やりたいこと、自分でもわからないの。でも、カレシは、ちゃんとわかっているんだ」
「佐藤くんは何をやりたいの?」
意外な言葉に、ばふこと私は口をそろえて聞いた。
「彫刻なんだって。小さいときに見た彫刻に、ガーンってなっちゃったんだって。そんな昔の気持ちを忘れずに、ずっと持ちつづけられているのって、すごいな、って。つきあう前に、誘われて美術館に彫刻を見に行ったんだけど、あたし、つまんなくて、すぐ飽きちゃった。でも、カレシはすごく夢中になって、あたしといることも忘れちゃっているみたいで、それ見ていたら、なんだかいいな、って」

 強い動機もなく、毎日をなんとなく過ごしているのは、私も同じだった。ふと思う。流れていったこの先には何があるんだろう。何もないのかもしれない。ただ、流れて漂っていくのが、私なのだろうか。
「夢が欲しいねぇ」
普段なら恥ずかしくて口にできないこんなセリフも、ワインの酔いで、するすると口をつく。
「欲しい欲しい」
ピンク色に染まった顔で、千夏さんもうなずく。
「あら、私にはあるわよ。私はね、ビックになるのよ」
鼻高々にばふこが言い、私と千夏さんは笑う。
「何よ、私は本気よ」
「ハイハイ、そうだったね。ゴメンゴメン」

 その夜は満月だった。千夏さんを見送る夜道が、明るかった。いつか自分の行き先を見つけたときに、こんな夜があったことを思い出すのだろうか。月が道を照らすように、私の行く手を照らすものはあるのだろうか。千夏さんと駅で別れたあと、眠りこけてしまったばふこを背負って歩きながら、ひとり、そんなことを考えていた。



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