2.アルバイト



 ある夜のこと、ばふこが頼みがあるという。改まって何かと思えば、「アルバイトに応募しようと思っている。ダイエーの3階にテナントで入っている100円ショップで、人を募集しているのだ。ついては、履歴書用の写真を撮ってくれないか」と、こういう話であった。ばふこは、いつの間にか履歴書も買ってきていた。氏名のところには「ももな ばふこ」と鉛筆で書いてある。生年月日は「ふめい」とあった。
 ばふこは、その100円ショップでよく買い物をしているようだった。そういえば、彼女の手鏡などのこまごまとした小物類は、100円ショップのプラスチック製品が多かった。
 
 写真店で履歴書写真を撮ると値段が高くて、と、ばふこは言い訳がましく説明する。
「そうだね、700円ぐらいするよね。100円ショップに行けば7つも買えるよ、もったいないよ」。
と言うと、やっぱりそう思う? とほっとしたような顔をした。白い壁の前にばふこを立たせて、デジカメで撮影し、そしてパソコンのソフトを使って、ちょっとだけスリムになるように修正してやった。ばふこは嬉しそうに、一部始終を覗き込んでいた。

 数日後、ばふこは無事面接をパスして、翌週から働きに出ることになった。面接では、どんなやり取りがあったんだろう。いくら聞いても教えてくれない。そして、「あの店長は人を見る目があるってことね」と鼻を高くしている。就職記念に、自由が丘でエプロン代わりのバンダナと、チャックのついた小銭入れを買ってプレゼントした。そのときも嬉しそうだった。

 しばらくの間、私はダイエーに行くと3階の100円ショップを遠くから観察していた。ばふこは、お腹にバンダナを巻いて、かいがいしく品物を陳列したり、埃をはらったりしている。レジには立っていないようだった。「ばふこは計算だってできるし、おつりだって数えられるのに」。私は悔しかった。店には、7:3に分けたやせぎすの中年男が時折、姿を見せ、これがばふこの言う「人を見る目のある店長かな」と思ったりした。

 そのうちに、ばふこは、アルバイトの後、4階のゲームセンターでゲームを2回やり、1階のハンバーガーショップでポテトを食べるのを楽しみにするようになった。
 ハンバーガーショップは、本当ならば犬は入ってはいけない決まりなのだが、ばふこは大目にみてもらっているようだった。カウンターに背が届かないばふこが来ると、店員のお姉さんはメニューを持って、ばふこの側まで来てくれる。ばふこはポテトのSしか頼まないのだが、嫌な顔もせず、毎回「ほかにご注文はよろしいですか?」と聞いてくれる。そして、品物を持って、うろうろしているばふこを抱いて、席に座らせてくれる。そういう優しさに触れて、ばふこの中には小さな自信が沸いてくるようだった。

 アルバイトから戻ると、その日にあったこと、来たお客のことをあれこれと話してくれる。今日は1万円も買い物をした人がいたのよ、などと教えてくれる。
「すごいね、1万円も?」
「1万円って言ったら100個分よ、わたくしちゃんと計算できるんだから」
「えらいね、頭がいいんだね」
私が間違って、「パート」などと言おうものなら、きっ、と睨み「ア・ル・バ・イ・ト!」と言い直した。アルバイトという言葉のほうが、若々しくていいのだそうだ。

 ところが、働き出して数週間がたったころ、私が外出から戻ると、部屋にいるはずのばふこがいない。探し回ると、押し入れの中で、布団をかぶってうずくまっていた。目の回りが赤く腫れていて、泣いていたとわかる。
「どうしたの? 嫌なことでもあったの?」と聞くと、「何でもないから、放っておいて」と答える。慌ててイチゴのショートケーキを買ってくると、飾りのイチゴと生クリームだけ食べて、また布団の中に戻ってしまった。そのうち眠ってしまったらしい。押し入れから小さないびきが聞こえてきた。私は残ったスポンジ部分を一人でもそもそと食べた。どうしよう、電話して店長に聞いてみようか。出すぎたことをして、ばふこが店にいづらくなってもいけない。悩んでいるうちに、私も寝てしまったらしい。

 翌朝、アルバイトに行くばふこを見送り、いつものように床に掃除機をかけていると、茶箪笥のばふこの引き出しから、紙がはみ出しているのに気がついた。取り出すと、アルバイトの給与明細だった。時給320円。それはヒトの半分以下の時給だった。ばふこに芽生えていた小さな自信は、きっとこの1枚でぺしゃんこになってしまったのだろう。ばふこの丸い小さな背中を思い浮かべて、私は泣きそうになった。プライドの高いばふこは、半分以下の時給で働いていることを、きっと知られたくはないだろう。明細書はそっと引き出しに戻しておいた。

 その夜、ばふこの初月給祝いを、近所のカラオケボックスでやった。ハンバーガーショップのお姉さんを誘うと、お姉さんは「喜んでいくよ」と言ってくれて、おまけに彼氏も連れてきた。ハンサムではないが、背の高い彼氏で、大学浪人中なのだという。ばふこにていねいに自己紹介をして、隣に座る。始めのうち恥ずかしがって無口になっていたばふこも、ぶとうジュースにワインを混ぜてやると、鼻のあたりを赤くして機嫌よく中山美穂の「派手!」を歌った。何回も歌った。続いて、中山美穂の「ロゼカラー」を歌った。お姉さんは浜崎あゆみを歌い、彼氏は甲高い声でミスターチルドレンを歌い、そして私は渡辺美里を歌った。お姉さんは、「ばふこちゃんも、しょうこさんも古いねえ」と、屈託なく笑った。酔ってふわふわしながら、みんなで笑った。


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