15.From Baffy


 年の瀬が押し迫ってきた。帰省シーズンだ。年齢とともに、実家に帰ることがどんどん億劫になってくる。特に、親戚一同が集まるお正月は苦痛だった。「だれだれさんのところのお嬢さんは、どこそこにお勤めの人と結婚して、子どもが生まれて、二世帯住宅を建てたんですってよ」とか、知りたくもないことをあれこれ教えられるのが、いい加減うんざりだった。でも、さすがにこの時期、実家に顔を出さないわけにはいかない。それに、独り身の女が東京の安アパートで年を越すのも、とてもみじめなことのように思えた。

 さて、問題はばふこだ。二人で迎える初めての年末年始。どうしたものか、ちょっと悩んだ。
「ねぇ、ばふこ。バイトは4日からなんでしょ。お正月休みはどうする? 私の田舎にいっしょに来ない?」
ばふこに聞いてみた。ばふこは、このアパート以外、帰るところがないはずだった。
「気持ちは嬉しいけど、遠慮しとくわ。だって、気を使って疲れるもの。こんなときだから、ゆっくりアーバンライフを楽しむのもいいかなって思って」
「でも、お正月をアパートで一人過ごすのも寂しいでしょう。自分の家のつもりで来たらいいのよ」
ばふこは、フフンと笑うと言った。
「私の寂しいって、もっと違うことなのよねぇ。あんたには、わかんないかもねぇ」
ソフィア・ローレンのような気丈さだった。私もばふこみたいに強くなれたらいいのに。

 帰省の日、ばふこは、東京駅まで見送りに来てくれた。
「アパートまで帰れる? 大丈夫? ホームの隙間に落っこちない?」
「そろそろ一人歩きにも慣れなくちゃね。おみやげ頼むわよ。饅頭はいらないからね、魚も。わかってんでしょうけど」
「火の元には気をつけるのよ」
「クッキーとかパウンドケーキとか、そういう洋菓子がいいわね」
ごった返すホームに立ち、前足を振るばふこが、何だかすごく遠くに感じた。

 一年ぶりに帰った田舎は、取り立てて何も変わったことはなかった。高校時代の親友のノリコは、ご主人の実家に泊まりに行っていて留守だった。毎年、年末年始はそうして過ごすのが慣わしのようで、お互い気にかけながら、もう何年も会っていなかった。
 久しぶりに見る甥と姪は、それぞれふたまわりくらいずつ大きくなっていた。叔母の私が珍しいらしく、まとわりついてくる。どうやって遊んでやったらいいものかわからないままに、つきあって少しだけママゴトをした。遊んでやると、子どもたちは喜び、もっとまとわりつきてきた。

 感動のないままに、大晦日となり、蕎麦を食べ、年が明けた。テレビでは「行く年来る年」を映している。去年の年末とまるで同じだった。そして、去年と同じように、甥と姪にお年玉を1000円ずつあげた。多いのかもしれないし、少ないのかもしれない。子どものいない私には、見当もつかない。居間にあふれるおもちゃや服は、どれも1000円では買えないようにも思えた。
 この日ばかりは夜更かしを許された子どもたちは、はしゃいで騒ぎまわり、私と両親はゆっくり話す時間もなかった。そのことに、私は少しほっとしていた。
 私は、ばふこが、あのアパートでどうしているかと、そのことばかりが気がかりだった。
一度、電話をかけてみたが、留守番電話になっていた。一人ででかけたんだろうか? 電車に乗って? 隙間に落っこちないかな。小さな丸い背中を思い浮かべて、気が気ではなかった。

 元日の夜には、長男宅であるわが家の居間に親戚が集まって、しゃぶしゃぶやら、すき焼きやら、寿司やらを食べる。おばさんの一人が、私を隣室に引っ張りこむと、声をひそめて嬉しそうに言った。
「知り合いの息子さんでね、しょうこちゃんにいいんじゃないかなーって人、いるのよ。国立大の理系を出ていてね。お勤めもしっかりしているし、年はしょうこちゃんの3つ上だったかな。穏やかな人でね。お姑さんもそりゃあいい人だし、会うだけでも会ってみない?」
「その人、ブルドックは好きかなぁ? 私と結婚するなら、もれなくブルドックがついてくるけど」
「えっ? 犬? 別に嫌いじゃないんじゃないかしらね。しょうこちゃん、犬飼っているの?」
「飼っているんじゃなくて、いっしょに暮らしているの。お見合いのこと、考えとく。心配してくれてありがとう。おばさん」
「ほんとに、そうよ。もう今年で30でしょ。今年中に何とかしなくちゃ。お父さんやお母さんも口には出さないだろうけれど、とっても心配しているのよ」
「ごめんなさい」

 2階の自室に入ってみた。かつて、ここは、東京に憧れる女の子が夢を膨らませていた部屋だったが、今では、ただの物置になっていた。古い『Hanako』が束になって紐でくくられている。洗濯物が吊るされ、シクラメンの鉢がいくつも並んでいた。カレンダーは、2年前の10月のままだった。部屋に佇んでいると、ときどき、階下からドッと笑い声が響いて、伝わってきた。

 いつの間に、この家に私の居場所はなくなったんだろう。きっと、今年じゃない、去年でもない。ずっとずっと前から、少しずつなくなってきていて、帰省するたびに、私はそのことに気が付いていたはずだった。
 結局、私が帰れるところは、東京のアパートだけなんだなぁ、と思った。高架下の美容院と、ホルモン焼きの店がある、あの町の1DKの安アパート。
ばふこと同じだ。でも、不思議と寂しいとは思わなかった。そのことも、ばふこと同じだった。

 携帯電話の着信音が鳴った。ばふこからのメールだった。
あわてて小さな液晶画面を見た。

あて先:しょうこさま
題名:謹賀新年

はじめてメールしてみます。ちゃんと届いたら、返事ください。
今朝、アパートの部屋にいると、千夏さんが来ました。いっしょにおせち料理を食べようと言うので、千夏さんの家に行きました。千夏さんの家は、隣駅の駅前にある大きくてきれいなマンションでした。
お父さんとお母さんと千夏さんと佐藤くんの5人で、おせちを食べました。おせちは、魚や野菜ばっかりでした。悪いので、少しだけ食べました。あんまりおいしくありませんでした。でも、栗きんとんはおいしかったです。千夏さんのお母さんが、ココアをいれてくれたので、それを飲んでから、千夏さんと佐藤君の3人で神社に行って、おまいりをして、おみくじを引きました。小吉でした。千夏さんは吉でした。佐藤くんも吉でした。あんたの分も引いておきました。末吉でした。帰ってきたら、渡します。東京は、お正月も人でいっぱいです。ゆっくりアーバンライフを楽しめませんでした。
家に帰ると、年賀状が届いていました。しもどうぞの先生からも来ていました。コーデリアは、すじがいいから楽しみですって書いてありました。おせじだと思うけれど、うれしいです。店長からは年賀状のかわりに、年賀メールが来ました。あんたにも、年賀状が何枚が来ていました。美容院と、ホルモン焼きの店と、あと、女の人から何通かありました。
いつごろ帰ってきますか? あんたがいないと、ちょっと寂しいわ。
謹賀新年。今年もよろしく。Baffyより。
 ばふこったら、あんな安アパートに住んでいて、何がアーバンライフよ。そう思いながら、ちょっとだけ泣いた。寂しいと言ってくれる人がいることに、泣いた。
あて先:Baffyさま
題名:RE:謹賀新年

メールはちゃんと届きました。ありがとう。上手にキーが打てるようになったんですね。誤字脱字もなし。立派です。明日には帰ります。ばふこがいるアパートに帰るのが、楽しみです。来年は、いっしょにおまいりに行きたいです。次は大吉を引きましょう。洋菓子を買って行きます。こちらこそ、どうぞよろしく。しょうこより。
 ベランダに出て、東京の方角を見た。遠く、高く、アパートの窓の明かりを探した。見えるわけもないのに、でも、見えるような気がした。明かりの向こうに、背中を丸めてパソコンのキーを打つばふこがいた。

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