10.Happy Birthday




 今日は火曜日。だから、きっといるはず。
 私は、梨を1袋買うと、開店間もない ホルモン焼き・富美江 に向かった。
果たして、そこには期待通り、HIDEKIが生ビールのジョッキを前に、テレビのプロ野球中継を見ていた。火曜日は美容室の定休日なので、HIDEKIはきっとここで、持て余した時間を過ごしているだろうと思ったのだ。
 
 HIDEKIは、私の姿を見ると「や」というように、右手を上げた。ママに梨の袋と空のタッパーを渡し、私はHIDEKIの前に座った。
「あらあ、ありがとうねぇー」
ママは大きな声で言うと、手際よく切って皿に盛り、私たちのテーブルに加わった。

 「今日は、私の誕生日なの。二人にも祝って欲しくて」
なぜかこの二人には、甘えることができる。ママは、「まあまあ、おめでとう」と、奥からパウンドケーキを3切れ、がさがさと出してきた。これも、だれかからのプレゼントのようだった。
 「乙女座なんだね。いくつになったの?」
HIDEKIが聞いた。
「29。もう29よ」
「ヨシオちゃん、よく星座のことなんて知っているわね」
ママは半分呆れたように言うと、目を細め「29なんて、一番いい時だわ」と付け足した。

 「でも、来年は30でしょ、その次は31でしょ。19歳の友達はデザイナーになりたいんだって。その彼氏は20歳だけど、彫刻家になりたいって、美大を目指しているの。私のルームメイトも、ビックになるんだって言っている。私だけ、何をしたらいいかもわかんないまま、年だけとっちゃった。今までと同じように、10年後も何一つ変わらないんじゃないかと思うと、怖くなる」
そう言うと、二人はいたわるような、いつくしむような目で私を見た。

 「ねぇ、君のお父さんは、何をしている人?」
HIDEKIは聞いた。
「普通の勤め人よ」
「お父さんの人生を、君は下らないと思うかい?」
 私は、父親の顔を思い浮かべた。形の崩れた安物のビジネスシューズと、角の擦れた鞄をいつまでも使っているお父さん。自分の物はほとんど買うことがない。趣味の写真を撮っては、写真雑誌に投稿することを楽しみにしているが、賞に選ばれたことなど一度もなかった。
 首を横に振った私に、
「デザイナーとか彫刻家とか起業家とか......そんなふうに、何かになれなくったって、いいんじゃないかなぁ、と僕は思うよ。焦ることはない」
HIDEKIは言った。
「そうよ。立派になんかなんなくても、楽しいことは結構多いもんよ」
ママは私の頭を撫でると言った。
 やっぱり今日ここに来てよかった。
何一つ変わらないことに違いはないが、ちっぽけな私の存在を受け止めてもらえることが、ただ、ひたすらに嬉しかった。
この東京の街に、やっと自分の居場所ができた気がした。

 「そうだ、誕生日プレゼントに、これをあげよう」
HIDEKIは自分の首からペンダントを外すと、私につけてくれた。トルコ石がはめ込まれた、ありふれたインディアン・ジュエリーのように見えた。
「あら、イヤだ。やめなさいよ、ヨシオちゃん。若いお嬢さんに、そんなお古、汚いじゃないの」
ママは今度こそ本当に呆れて言ったが、HIDEKIは、
「これは、昔、旅していたとき、インディアンから幸運のお守りだってもらったやつなんだよ」
と飄々としている。
「どうだかねぇ。また、いつもみたいに騙されたんじゃないの? ガハハハ」

 その日は、HIDEKIとママに店でご馳走になった。いい気分にほろ酔いで戻ったアパートでは、ばふこがイチゴのショートケーキを前に憮然としている。
「せっかく誕生日ケーキを買って来てあげたのに、遅いじゃないの!」
「ありがとう。ばふこ、あんたはモナミよ」
ばふこを抱きしめると、彼女はぎょっとした風に飛び上がった。

 夜、布団の中にもぐりこみ、ばふこの大きなイビキを横に聞きながら、ペンダントを見つめて私はそっと口にしてみた。
 「お誕生日、おめでとう。29歳のあたし」



目次に戻る